お米(籾の状態の精米する前のお米)を精米所に持っていき精米する、という行為は農業からかけ離れた人達がほとんどの現在では遠い非現実的なものになっている。
都市から離れれば離れるほど、その環境はものすごく身近なものになっていて、逆に言うと土地を有効に使用するために、昔から生きていくために食べるものを作るという直接的な行為は、地方では当たり前な事だった。
生まれ育った環境が普通で、とても過ごしやすいという事は誰にでも言えることではないだろうか。そして、それらが変わっていくという事は、風景が変わるという事。風景が変わるという裏にはそこに住む人達の考え方が変わるという事につながっていくのかもしれない。

こないだ精米に行った際に、精米所の人が言っていた。
「米を作る人が減っていて、私達の商売もいつまであるかわからない。」

そして、最後に真剣な眼差しでこう言っていた。
「自分の地域で出来た米が1番、そこの地域の人達の口にあう。それは、住んでいる環境や水が自然のうちに体に慣れ親しんだものだからとみんなが言う。と。」

1つの商品が関係しているのは、作り手の生産者だけではなく、その商品が出来るまでに通ってくるだけの人の数の、想いがつまっていると。

しっかりと、地域の想いと宝を残すために。

100年後に綾町の魅力を伝えるために。